6.10.2014

黎明期もしくは終焉期


民主主義国家も社会主義国家も独裁国家も、いかに大義・正義を並べたところで、権力と金の力で弱者から搾取し続けるという構造的には大差無い.
政治という名の下で国家の嘘は正当化され、絶対正義などというものはまやかしでしかない. いや、正義とは"変遷し得る"、国家による方便とも言えるか.


世界を見渡せば、ナショナリズムが勢いを増している. 
しかし、国家なんてシステム、もういい加減に乗り越えていかなければ、人は本当に自ら滅んでしまうだろう.

人が文明と言われるものを築き始めてからまだたかだか数千年. 人類の歴史はまだ始まったばかりで太陽系さえ飛び出すことの出来ない、言わば黎明期だ.

この時代を、終焉の時代にはしたくない. 

6.05.2014

命の重さ

 人にとっての命の重さというのは、自分勝手なものでしかないのだろうか。



 日本ではめっきり報道が少なくなっているが、シリアではいまだ内戦が続いていて、これまでに16万人以上の人が亡くなっている。その他多くの地域でも主義主張を争うテロ行為の中で多くの命が失われている。そして世界では日々4万人以上もの人が飢えで亡くなっている。

 それに対して、あなたはどれほど心を痛めているだろうか。

 ニュースが人の死を伝える。民族紛争で100万人が虐殺されました。自爆テロで30人が亡くなりました。土砂災害で20人の人が亡くなりました。ストーカーの男に1人の女性が殺されました。幼児が虐待され、餓死しました。

 どれも同じ温度差で、一人の人の死を感じただろうか。

 人は身勝手に、命の重ささえも都合よく解釈してしまう。遠ければ遠いほど、一人の命からただの数になっていく。遠くなるほど、数が増えるほど、命に対する感覚は鈍くなっていく。

 "ミミズだって オケラだって アメンボだって"
 "みんな みんな生きているんだ"
 "友だちなんだ"
 そんな歌があった。
 生きとし生けるものが持つ命の重さに、差なんて無いと思ってきた。人の命が軽いとかではなく、人だけを特別視する考え方に違和感があるという意味で。
 人を特別視する多くの宗教観からすればおかしな感覚かもしれないけれど。

 命の重さとは、なんだろうか。
 

6.02.2014

2050年まで人は生き残れるのか

"人口の増加は、大地の食糧生産能力の増加をはるかに上回る"
                    - トマス・マルサス「人口論」A.D.1789 -

 2050年、日本人口は25%近く減少し、現在人が居住している地域の約60%では人口が半減、約20%の地域では住民がいなくなると推測されている。一方世界に目を向けると、2050年までには現在よりもさらに約35%人口が増え、95億人近くまでになると予測されている。日本にいてまわりを見ていると食料が不足していることも人口が増えていることも認識しづらいが、世界では全く真逆の状態が、むしろ加速度的に進行しているのが現状だ。
 そして地球環境。今年はエルニーニョが発生して冷夏になるという予測がありつつも、5月の真夏日記録数を更新したり、先の冬は極度に冷え込んだり大雪に見舞われたりと、極端な気候とともに短期的には温暖化が確実に進行している。温暖化をもたらしている要因は様々だが、温暖化しているという事実(温暖化が寒冷化を生む可能性はともかく)が実感となって現れているのは確かだろう。
 この温暖化をもたらしている最大要因の一つが食料の生産だ。

 人が生きていくために食糧を欠かすことは出来ない。しかし、現在行われている食料の生産方式と効率では、増える人口を支えることは出来ず、一方では地球環境をより悪化させることになると予測されている。
 地球の表面積のうち、陸地は約28.9%の147,244,000km²。このうち、多くの人が住む都市部の面積は陸地面積のうち0.4%ほどにしか過ぎないが、そこに住む人々が必要とする食料を生産するための農業用地(牧草地・耕作地)は陸地面積の約39%を占めている。農業用地では、オゾン層を破壊する要因にもなっている亜酸化窒素やメタンの排出量が多く、温室効果ガスの排出量は自動車・飛行機などの交通機関が排出する総量を大きく上回って現在も増え続けており、このまま対策を講じなければ2050年までに現在より約30%上昇する。

 農業からの温室効果ガス排出は増加(国際連合食糧農業機関)
 http://www.fao.or.jp/detail/article/1205.html

 人が増えれば、必要な食料はそれだけ増える。95億人の食を支えるには、作物の生産量を現在の2倍ほどにも増やさなければならない。しかし、生産を増やせば増やすだけ地球温暖化要因は増え、人が生きる環境は厳しさを増していく。
 この危機を乗り越えるため、農業生産性を高める方策としての精密農法、ITを活用して生産に要するカロリーの無駄を減らす新たな有機農法が考えられ、実践され始めているがこれだけでは危機を乗り越えることが出来ない。農業問題だけでなく、自らの食生活を見なおさなければならないだろう。
 日本を含めた先進国では、毎年サハラ以南アフリカの全食料生産とほぼ同量の2億2,200万トンもの食料を廃棄している。そして、日本では約5800万トンの食料を輸入し、そのうち1940万トンもの食料を廃棄しているのが現状だ。これはアメリカを抜いて食料廃棄率が世界一。
 世界では1年間に1500万以上の人が飢餓で亡くなっているが、日本で廃棄されている1940万トンの食料は3000万人以上の年間食料に匹敵する。食べずに捨てている食料の総量は、食べられずに亡くなっている人々が必要とする食料をはるかに超えている。
 ちなみに、1500万人を超える餓死者の70%以上は小さな子どもたちだ。

 2050年、たった36年先の未来だ。そして36年後にいきなり困難に陥るわけではなく、何の対策も行わなければ、段階的に状況は悪化していく。
 人は目の前のことだけ、”いま”だけを見がちだ。
 それが人の性とはいえ、知らぬ存ぜぬでは未来は失われるだろう。
 残された時間は、わずかしかない。