いかに幸せであるか。
国民一人一人の幸福度を高めていこう。そんなことを標榜している国家がある。
ヒマラヤの南麓、ほぼ日本の九州ほどの大きさに約70万人が住む雷竜の国、ブータン王国。
山と風と雲の国だ。
幸福なんて曖昧なものだ。そんなものは個人の主観に基づく実態のないものじゃないのか。綺麗事を言っているだけじゃないのか。
ブータンの言葉、ゾンカ語には幸福に直接相当する言葉はないという。
幸福とは何なのだろう。
ブータンという国を知った時、国民総幸福量を標榜するこの国に対しては、そんな印象を持っていた。
チベット仏教を国の中心に置いたこの国は、ゾンカ語を話し、一つの民族でまとまった争いのない国として見られがちだけど、実はそうでもない。70万人しかいないのに多民族国家だ。70万人というと島根県よりちょっと少ないくらい。その人口が九州と同じくらいの面積に暮らしてる。
チベット仏教の内紛から生じた小さな国は、多くの争いを抱え、経験し、インド、中国、ネパールなどの大きな国に挟まれつつ存続してきた。そんな状況の中で、どう国を自立させていくのかということは、ブータンという国の大きな課題として在り続けてきた歴史がある。その選択肢として、打ち出したのがアイデンティティの確立だ。
1972年、第4代国王となったジグミ・シンゲ・ワンチュクは革新的な政策と保守的な政策の両面から解決の方向を打ち出した。いまでこそよく知られるようになった国民総幸福量という開発概念もその一つ。そして民族のアイデンティティを高めようと打ち出した「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」では民族衣装(ゴとキラ)の着用義務化やゾンカ語の国語化などが推進された。しかし、この政策がきっかけにもなり、ネパール系国民の反対運動とそれに対する排斥運動などが起こりブータン南部問題として長く尾を引く自体となった。
ある意味、国を守ろうとして打ち出したアイデンティティ確立政策は、国民"総"幸福ではなく、国民”一部”幸福をもたらしたとも言える。
ある意味、国を守ろうとして打ち出したアイデンティティ確立政策は、国民"総"幸福ではなく、国民”一部”幸福をもたらしたとも言える。
経済発展に伴って増え続けるインフラ工事の現場をには、家族ぐるみで働くインド・ネパール系の人たちが溢れている。決して環境の良くない仕事現場にチベット系ブータン人の姿は見られない。一方で、ブータン国民の大多数は農業を営み、また放牧を行なって暮らしている。隔絶された土地で自給自足型農業によって暮らしている人が多いこの国の識字率は6割ほどだ。
ブータンの言葉、ゾンカ語には幸福に直接相当する言葉はないという。
幸福とは何なのだろう。
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