7.16.2014

雷竜の国、そしてHappiness ③

 ブータン人、というかブータンに住むチベット系ブータン人の人たちは基本的に信心深い。ヒンドゥーの人たちなんかもそうだけど、身についた自然体の信仰心を持っているよ人が多い。そして、生き物が手を携えて生きていくトゥンパ・プンシの姿勢を随所で感じる。

親睦四瑞(トゥンパ・プンシ)
一切衆生悉有仏性の概念を持つ仏教信仰ゆえに、基本的に殺生をしないし、川で魚を釣ることは禁止されているブータン。だから魚や肉を全く食べないかというとそんなこともなくて、あれば食べる。そのあたりは仏教的緩さでもあるけれど、肉も海外で精肉されたものならOKだし、川魚だって下流のインドなどから輸入されていたりしている。けれど、ブータンの食事といえば基本はお米、チーズ、トウガラシの3本柱でほんど野菜だ。大地の恵みをご飯と共に食べる。
 そして、余ったご飯は犬や他の生き物にわける。大地で生きる命に分け隔てがない。

余ったご飯

 ブータンでは信心深い人たちが多いけど、信仰の根底に六道輪廻と転生の考え方があることもあって、祈りは個人的なことや現世のことに捧げない。生きとし生けるもの、そして来世のために祈る。輪廻、転生していく中で、すべての生き物は繋がっている。



 現世だけでない繋がりの中で、いまを、命を、幸せを捉え、祈るのだ。

7.15.2014

雷竜の国、そしてHappiness ②

 人ほど、他の生物に頼って生きているものもないなと思う。
 都市から離れれば離れるほどに、それは漠然としたものから実感へと変わってくる。


 人は、人と人の関係性に心をとらわれがちだ。だけど、実は多くの命に支えられて、ようやく生きている。様々な生命と密接な関係性を持っている。
 ブータンで出会った人々は、自然体でその関係性を大切にしていたように思う。

 ブータンではどこに行くにもガイドさんが一緒だ。いまのところ、国の決まりなので外国人は一人でふらふらと歩き回ることは出来ない。なので、山に登るとなっても一人では登れない。必然、山に登るとなると、ガイドさん、コックさん、コックさんのアシスタント、馬子さんがつくことになる。そして馬が5頭。ちょっとしたキャラバン隊が出来てしまうことになる。

ブータンの山間部では(ほとんど山間部だけど)、僕たちのようなキャラバンだけでなく、輸送手段として馬を使ってることが多い。だから必然的にあちこち馬糞だらけで、そんな、3歩歩けば馬糞な道をオトコ5人、ウマ5頭でひたすら登っていくのだけど、ブータン人は気がつけば道をそれて何かを探してみたり、ごそごそ地面を掘ったりしてる。キャラバン隊としては規律も何もないのだけど、自由気ままで、時間を気にせず、何をするにも屈託がないブータンの人々は、独特のペースを持っている。

草を見つけては土を掘ってるコックさんに「何か採れるの?」って聞くと、それが芋だったり、薬草だったり、まったく何も採れなかったりなんだけど、期待のものが採れると満面の笑みで、採れなくても特にがっかりすることもなく、掘ったところを優しい手つきで埋め戻すのだ。山の恵み、生命の恵み。山の中での何気ない行動に、自然体で環境と共に生きている豊かさがある。大地にしっかりと根がある人の姿がある。

 そこには幸福のかたちが垣間見えているのかもしれない。

7.13.2014

雷竜の国、そしてHappiness ①


 いかに幸せであるか。


 国民一人一人の幸福度を高めていこう。そんなことを標榜している国家がある。
ヒマラヤの南麓、ほぼ日本の九州ほどの大きさに約70万人が住む雷竜の国、ブータン王国。
 山と風と雲の国だ。



 幸福なんて曖昧なものだ。そんなものは個人の主観に基づく実態のないものじゃないのか。綺麗事を言っているだけじゃないのか。
 ブータンという国を知った時、国民総幸福量を標榜するこの国に対しては、そんな印象を持っていた。

 チベット仏教を国の中心に置いたこの国は、ゾンカ語を話し、一つの民族でまとまった争いのない国として見られがちだけど、実はそうでもない。70万人しかいないのに多民族国家だ。70万人というと島根県よりちょっと少ないくらい。その人口が九州と同じくらいの面積に暮らしてる。
 チベット仏教の内紛から生じた小さな国は、多くの争いを抱え、経験し、インド、中国、ネパールなどの大きな国に挟まれつつ存続してきた。そんな状況の中で、どう国を自立させていくのかということは、ブータンという国の大きな課題として在り続けてきた歴史がある。その選択肢として、打ち出したのがアイデンティティの確立だ。
 1972年、第4代国王となったジグミ・シンゲ・ワンチュクは革新的な政策と保守的な政策の両面から解決の方向を打ち出した。いまでこそよく知られるようになった国民総幸福量という開発概念もその一つ。そして民族のアイデンティティを高めようと打ち出した「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」では民族衣装(ゴとキラ)の着用義務化やゾンカ語の国語化などが推進された。しかし、この政策がきっかけにもなり、ネパール系国民の反対運動とそれに対する排斥運動などが起こりブータン南部問題として長く尾を引く自体となった。
 ある意味、国を守ろうとして打ち出したアイデンティティ確立政策は、国民"総"幸福ではなく、国民”一部”幸福をもたらしたとも言える。

 経済発展に伴って増え続けるインフラ工事の現場をには、家族ぐるみで働くインド・ネパール系の人たちが溢れている。決して環境の良くない仕事現場にチベット系ブータン人の姿は見られない。一方で、ブータン国民の大多数は農業を営み、また放牧を行なって暮らしている。隔絶された土地で自給自足型農業によって暮らしている人が多いこの国の識字率は6割ほどだ。

 ブータンの言葉、ゾンカ語には幸福に直接相当する言葉はないという。

 幸福とは何なのだろう。
 


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7.05.2014

続く道


山に向き合うということは、自分に向き合うことだという.


夜明けとともに歩き始め、雲の狭間で立ち止まり、日暮れとともにシュラフに包まる.

鳥の声、ヤクが草を食む音、山を渡る風の音.

雲の中でも、朝の匂いや、夜の匂いがする.


そうして一日が過ぎ、また新たな一日が始まる.

昨日から続く、一日だ.

明日へと続く、一日だ.


7.04.2014

ニセモノ

お前はニセモノだ。

そんな事を言われて深く考え込んだ。
アルコールの入った場で記憶に無い同窓生から、「肌が若過ぎる。お前は他人だ。」「ニセモノだ」「皆んなを騙してる」「何しに来た」など、まったくどうでもいい、意味不明な絡まれようだったわけだけど、なぜか棘が刺さったような小さな痛みが残っている。



高校一年生の頃、大きな交通事故に遭い、その前後の記憶が曖昧になった。
半年の入院を経て、記憶とともに姿形も大きく変わった。
そんな僕には中学生の頃の記憶がほぼ、無い。
そして、自分がなんなのか、何者なのかを、考えるようになった。
それ故に、自分が誰なのかを自ら位置付けるように、存在を誰かに認めてもらえるように、もがいてきた。

けれど、やはり何者でもないのだろうか。
ニセモノ。
僕は誰なんだろうか。