長崎「浦上天主堂」の被爆遺構がなぜ取り壊されたのか。その”なぜ”を追った一冊の本がある。先日文庫化されたということで、再読した。
長崎に生まれ、被爆2世でもある筆者による力強いけれど淡々とした筆致は、人の中で蠢く感情と論理を抉りだしていく。
感情の生きものである人は、廃墟の中にそこにあった記憶を嗅ぎ分ける。その人たる感情を、論理により利用とするのもまた、人だ。
人は何故に感情と論理を持ったのだろう。
”簡単に、無自覚に無くしてはならない物がこの世界には存在するのだということを、歴史の教訓として学び取ることの出来ない者は、いつか再び、悲劇に見舞われるのだ。災害にしろ、戦争にしろ、犠牲者を悼み悲しむことだけで、「鎮魂」とするならば、人間の未来に光は差さないだろう。"
人は歴史というものを知っている。それゆえに歴史から学ぶことも、出来るはずだ。
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